夢の蕾
こんにちは。
暑いですね。見事に夏ですね。
ワタクシ熱中症になりやすい体質?らしく、ひと夏に最低三度は熱中症のようになります。
今年も早くも一回目がありました。
なので今まで夏ってすごく嫌いで、いつも来るな来るなと念じていたのですが、今年の夏はなんだかワクワクします。
いつもなら嫌いでユニクロのキャラクターTシャツオンリーで過ごす夏服も、今年はユニクロ以外で張り切って買ってみました。
三連休明けには友人と海に行きます。
夏、悪くない。
そんな感じで例年とは少し違った気持ちで迎えた夏ですが、夏に対する気持ち以外に少し自分の中で気持ちの変化があったので、メモ程度にまとめていきます。
近頃、度々潜在意識について調べております。
以前もどうにもこうにも、にっちもさっちも、と言った時にお世話になったのですが、忙しさにかまけて自分を大切にすることを忘れていたようなので、初心忘れるべからずとも言うし原点に帰ろうと思い、今一度ゼロから学び直しております。
するとですね、二年前は分かったつもりになっていたにも関わらずまったく理解していなかったというか、月日が経つにつれ少し歪めた解釈をしていたことに気づきました。
何が、というと"自分を大切にすること"です。
私は自分が大好きです。
よくがんばってるなぁと思うし、何事にも全力投球で一生懸命で大変好感の持てる奴です。
そこまではまだいい。
問題はその先です。
だから、私のような素晴らしい存在にチクチクお小言を言ってくる奴は可哀想で人としてしょーもない←ここが問題です。
少し大袈裟に書きましたが大体こんなことを根底で思っていました。
さらに快=自分の気持ち良いこと=動きたくない=動かない(でもお料理上手になりたい)と、とんでもない勘違いをやらかしていたのです。
以前書いた記事で私が一時期ニートだったことを書きました。(今もうその記事は消しています。)
その時私は面倒くさいって思うってことは動かない方がいいんだな〜とのんきにグダグダする毎日を送っていました。
そしてつい最近まで面倒くさいって感じるってことはお料理作らない方がいいんだ!掃除しない方がいいんだ!それが私にとっての快!
こんな感じのことを思ってテコでも動かない強情さでした。
それに対して彼は言います。
「家事をもっとしてほしい」
しかし私の中には私に文句を言う奴はろくでもないという観念があったので、
「ウルセー!気が向かないんじゃ!」と…。
彼には苦労をかけました。
しかし最近また瞑想をしてみよう、気持ちを新たにスタートし直そう、そんな気持ちになり今までとは違う目線から自分を見つめてみると、
「料理上手になりたい」
「モデルハウスみたいな部屋にしたい」
そんな願望があったわけです。
つまり潜在意識的に見ると、やらない、やりたくないと思ってる→本当はやりたい(なりたい)→彼を通じて今のやり方が間違っていると私に伝えていたのかなと思います。
私の潜在意識は何度も私に伝えていたわけです。
けれど私はそれに反発し続けた。
その結果私の中に残っていたのはやらない罪悪感でした。
本当は動けるのに、本当はやれるのに、本当はやりたいのに、そんな罪悪感が自分に対しても彼に対しても知らず知らずのうちに溜まっていました。
これじゃあイカンぞと。
がんばれ私、今こそ変わる時だと世界が言ってる。
そう思い、深く深く根を張ってしまったお尻をどっこいしょと持ち上げてみました。
まず面倒くさいと思ったことから着手することに決めてみました。
すると、これ本当に当たり前なんですけれども、案外楽なんです。
うわぁ…って思いながら動き始めるんだけど、本当はそれをすることを、やりきることを望んでいたからか楽しいんです。
疲れたなんて言ってても顔と心はニッコニコなんです。
不思議ですね。
そうして3日くらい経った頃、次に私に訪れた変化。
それが「人を幸せにしたい」という気持ち。
これはちょっとある本を本屋さんでパラ見した時に書いてあったんですけれども、好きっていうのは自分本位なんですって。
人によってもちろん違いや差はあると思うのですけれど、もらうことに重点を置くのが好きだとその本に書いてありました。
だから結婚は好きという感情だけでするものではないよと言ったような内容です。
ギブアンドテイクが必要なのであって、お互いが欲しい欲しいばかりだとうまくいかないよ、と。
そして次に結婚に必要な気持ちというか心構えが書いてありまして、それが「この人を幸せにする」という覚悟。
その言葉を見た時まさに目からウロコ、青天の霹靂。
私は今まで恋人に対して、人に対して「私を幸せにしてくれよな、頼むぜ私の世界の脇役たち」という相当に上から目線な心構えだったのだと気付かされたのです。
しばらく呆然と立ち尽くし、彼の元へ行きました。
すると心臓が、こう、ドッコン!と脈打つのです。
「私が幸せにするんだ」
「この人を幸せにするんだ」
「どうしたらこの人は幸せになれるだろう」
「どうしたら笑顔になれるだろう」
心臓がドッコンドッコンと脈打ちます。
全身に血液がジュワッと通うのを感じました。
私はその時にひとつ気づいたのです。
この目の前の人を幸せにすること、笑顔にすること、それが私にとっての幸せだと。
他の誰かの方が幸せにできるかもしれない。
だけど、私がこの人を幸せにしたい。
いちばん近くで幸せを共有したい。
素直にそう、思いました。
もしかしたら離れた方がこの人にとっては幸せなのかもしれない。
だけど、やっぱりこの人の笑顔のとなりに私がいたい。
私は心の中の私の神様に誓いました。
もう逃げません、と。
神様、もう面倒くさいことから、幸せにすることから、幸せになることから、自分自身から、私は逃げません。
今まで逃げてばかりで大変誠にごめんなさい。
これからはきちんと向き合います。
自分を正当化するための言い訳もしません。
私は私の全てと向き合います。
私は私自身と向き合ってこれからを作っていきます。
何日もかけて一生懸命神様に伝えました。
そうしたら、私の神様に「やってみなよ」って言われたような気がしました。
「見ててあげるよ、やってみな。」私の中の赤毛の神様はそうやってニヒルに微笑んだのです。
こりゃあもう頑張るしかないぞと。
頑張るっていうのは何だか違うんだけれども、当てはまりそうな言葉がそれしか思い浮かばないのです。
だけど今までのように無理をしている訳ではなくて、本当に体が軽い。
二日ほどありえないくらい、ベッドから起き上がれないくらいカラダが重くなったけど、今はもう軽い。
少しくらいめげそうになっても、大好きな松本梨香さんの、サトシの、OK!っていう曲に、「旅立ちのあの朝の燃えてるオレがそれでいいのかと問いかけてくるよ」ってとこが頭の中に流れ込んできます。
よくない、よくない。諦めない。
不安なんて食べちゃうし、つらい感じの思い出はリュックの綻びからこぼれ落ちた。
長い長いメモになりましたが、精進します。
人として、逃げずに、私はもっとキラキラ輝く私になる。
そして私的に、とても大切な願いを思った通りの形で叶えます。
アナタは自信がないなんて言われがちだけど、実は根拠の無い自信はいつだってびっくりするほど持ってます。
私の大好きなヒーロー達が、私が足踏みしている時はいつだって背中を押してくれるのです。
ありがとう、私の神様たち。
それでは皆様、長々と失礼いたしました。
ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございます。
あなたにとって今日が素晴らしい日になることを祈っております。